日本海鉱業の沿革


日本海鉱業の沿革


第2次大戦中三井鉱山に勤めた初代山田徳益は、樺太、北京に駐在し鉱石について明るかったこともあり、能登燐鉱の調査の中で高岡市五十辺にカルシウムの豊富な地層があることを発見し、昭和37年に共同鉱業権を取得。

昭和39年に本格的に単独鉱業権を取得し日本海高岡鉱山を開く。
昭和39年ごろ元労働省の職員であった石川長次郎氏が農業用に役立つ特性をもつ貝化石の存在を発見。その後、貝化石の特性を研究し、路盤材、水質浄化、肥料利用など様々利用法を研究。自分の研究した菌(トーマス菌)と共に貝化石の土壌改良材としての特性とミネラル豊富な海の資材として、水質改良材 養殖における魚へのミネラル補給など色々な利用法を研究

昭和42年農林省名古屋肥飼料検査所が北陸産の貝化石鉱床を調べ、成分の安定性、粒度の確認、分布などを広く確認。農業資材,建築資材などにも使えることをご報告頂く。(名肥飼資料42-5)
大洋化学工業㈱、東陽商事㈱らと共に昭和47年 日本海肥料株式会社を設立し全国に貝化石肥料の販売を始めた。 その後、貝化石鉱石を水質改善や水産資源維持への活用など、カドミウムなどの有害物質の吸着など利用は多岐に検討されている。